先日、家事の分担割合について妻と議論になりました。普段はあまり喧嘩をしない私たちですが、このテーマになるとどうしても熱くなってしまいます。今回感じたこと、そして自分なりの反省を整理してみたいと思います。
1. 「掃除のルーティーン」と「ちょこちょこ掃除」の溝
私は仕事をしている時から、週に一度は水回りと部屋全体に掃除機をかけることをルーティーンにしてきました。現在は育休中のため、基本的に家事全般を担っています。
そこでふと、「自分が仕事に戻った時、同じ分量で分担するのがフェアではないか?」と考えたのが議論のきっかけでした。対する妻の意見は、「汚れた時にその都度、ちょこちょこ掃除をしている。だから私も仕事をしつつ、相応の負担をしている」というものでした。
私は職業柄、物事を数字で捉える癖があります。「ちょこちょこ」とは具体的に何回なのか、それは私のルーティーンとどう比較できるのかを数値化して、納得感を得たいと考えてしまいました。しかし、妻にとって家事は「回数」ではなく「気づき」の連続です。
この「可視化したい自分」と「感覚で動く妻」のズレは、どちらが正しいというわけではなく、埋めようのない価値観の違いなのだと痛感しました。
2. 「平等」という言葉の危うさ
議論の際、私は不用意に「平等」という言葉を使ってしまいました。これが話を大きくしてしまった最大の反省点です。
妻からは、育児を優先するために仕事の比重を調整していること、そして何より「妊娠・出産そのものが不平等な負担である」という指摘を受けました。
家事の「その瞬間」だけを切り取って平等性を説こうとしても、出産・育児という人生の大きなイベントにおいて、負担はどうしても片方に偏ります。ここで「同じ量だけ負担し合おう」という「平等(Equality)」を追求しすぎると、議論は収拾がつかなくなります。
3. これからの「心地よい分担」に向けて
今回の件で、家庭においては「1対1の平等」を目指すよりも、お互いが納得できる**「公平(Equity)」や「支え合い」**の精神が大切だと気づきました。
「同じだけやる」ことに固執するのではなく、「自分に今できる最大限のことを行い、足りない部分は相談する」。そんな柔軟なスタンスの方が、結果的に家庭はうまく回るのではないかと思います。
不公平感をゼロにするのは難しいかもしれませんが、数字に縛られすぎず、まずは相手が見えないところで担っている負担に想像力を働かせることから始めてみたいと思います。